1893 明治26 |
日本のルーテル教会の伝道が、佐賀でスタートしました。 |
1898 明治31 |
山内直丸牧師が熊本での伝道を開始しました。 |
1905 明治38 |
水道町に熊本教会の礼拝堂が完成し、キャサリン・シェーラー記念会堂と名付けられました。(現在の礼拝堂は、1950年に建てられたものです。) 礼拝堂の建設工事(1905年のアメリカの教会の新聞から)と、完成した礼拝堂 |
1906 明治39 |
アメリカのルーテル教会大会で、日本に男子学校を設立することが決議され、募金運動が始まりました。これが、後の九州学院として結実しました。 |
1908 明治40 |
アメリカのペンシルベニア州ランカスターにあるインマヌエル・ルーテル教会の女性会で、日本に女子学校を設立するために5ドルの献金が捧げられました。 |
1909 明治42 |
新屋敷に熊本路帖神学校が開校しました。 |
1911 明治44 |
九州学院が開校しました。神学校が九州学院神学部(その後東京に移転して、日本ルーテル神学校)となりました。 今も残る九州学院の門(1917年のアメリカの教会の新聞から) |
1914 大正3 |
後に九州女学院院長となるマーサ・エカード先生が、アメリカからの最初の女性宣教師として来日しました。 |
1918 大正7 |
後に慈愛園を創立するモード・パウラス先生が来日しました。 |
1920 大正9 |
社会福祉施設・慈愛園の活動が始まりました。 |
1921 大正10 |
九州学院教会(現在の大江教会)が発足しました。 |
1921 大正10 |
アメリカのルーテル教会女性宣教会で、日本に女子学校を設立することが決議され、17万5千ドルを目標に募金運動が始まりました。特に、オハイオ州のジェームズ夫妻は、日本への宣教師を夢みて8歳で夭折した娘ジャニスのために特別多額を寄付し、新しくできる学校は「Janice James School」と呼ばれることになりました。 結局2年間で延べ30万人から、25万ドル以上の寄附が集まり、熊本に女子学校が設立されることになりました。 これが、後に室園教会の母体となった九州女学院の始まりです。 |
1926 大正15 |
九州女学院(現在のルーテル学院中学・高校)が開校しました。 創立当時の九州女学院校舎 (登録有形文化財) |
1928 昭和3 |
日本のルーテル教会で最初の婦人大会が、熊本教会で開かれました。 |
1929 昭和4 |
九州女学院の募金委員長として大きな働きをし、1927年に天に召されたキャサリン・クロンクさんを記念して、クロンク幼稚園(現・神水幼稚園)が開設されました。2代目園長が、後に女学院幼稚園を作ったメアリー・ヘルティブライドル先生でした。 |
1931 昭和6 |
九州学院と熊本教会で青年連合大会が開かれ、翌1932年にルーテル青年連盟が発足しました。 |
1932 昭和7 |
慈愛園を母体に神水教会が発足しました。(現在の礼拝堂は、1951年に建てられたものです。) |
1940 昭和15 |
日米関係が厳しくなり、九州女学院のエカード先生は10月に院長を辞任して翌年帰米しました。ほかの宣教師も相次いで帰国しました。 |
1941 昭和16 |
九州女学院は清水高等女学校と名称を変え、キリスト教教育を断念しました。1943年には九州学院も九州中学校となりました。(両校とも1946年に名称をもとに戻し、1947年に新制中学校、1948年に新制高校になりました。) |
1947 昭和22 |
1月、日本福音ルーテル教会の再建総会が九州女学院で開催されました。 4月、室園教会が発足しました。 |
1949 昭和24 |
ルーテル教会婦人会連盟の戦後第1回大会が九州女学院で開催されました。 |
1952 昭和27 |
めぐみ幼稚園を母体に始まった健軍教会が、神水教会から独立しました。 室園教会の西合志伝道所(現・合志教会)が発足しました。 後に熊本に骨を埋めたエリス先生が来日し、巡回図書館を使って伝道しました。 |
1961 昭和36 |
戦争で疲弊した日本を再建する若者たちを育てるために、アメリカの教会で多額の献金が集まって、阿蘇山荘が開設されました。 |