濱田信夫
2年前の春、洗礼を受けてクリスチャンになりました。
洗礼は罪の赦しであり、きのうまでの自分にサヨナラし、新しく生まれ変わ
ることだと教わりました。「キリストに結ばれる人はだれでも、新しく創造され
たものなのです。古い物は過ぎ去り、新しいものが生じた。」(第2コリント5:17)。
過去と他人は変えられないが、ひょっとしたら、未来と自分は変えられるか
もしれないと、勝手に思い込んでいます。
「悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。」(マタイ5:4)。
信仰というのは救われて、苦しみから解放されたい、そうなりたい、
そうなれるかもしれない、と何ものかを信じてみることではないでしょうか。
最近、「信仰とは、90%の疑いと10%の希望だ」というある作家の言葉を
読み、希望とは遠くにあって光っているようなものであり、疑いだらけでそっ
ちへ向けていける感覚が信仰なのではないかと、思ったりしています。
河野重昭
クリスマスが近づくと、サンタクロースの存在が気になります。ここに、1冊の絵本があります。
それは、「サンタクロースって、いるんでしょうか?」という絵本です。
この絵本は、バージニア・オハンソンという8歳の少女がサン新聞社宛に出した「サンタクロースって本当にいるんでしょうか?」
という質問に答えて、サン新聞社が1897年9月21日の社説に掲載したものです。
「サンタクロースはいます。それが見えないのは“疑い深い人”で“心の狭い人”なのです。
此の世の中に“愛”や“思いやり”があるのと同じように、サンタクロースも確かにいます。
この世の中に“愛”や“思いやり”があるから、あなたの毎日の生活は美しく、楽しいのです。
もしも、サンタクロースがいなかったら、此の世の中は、どんなに暗く、寂しいことでしょう!
サンタクロースを見た人はいません。けれども、それは、サンタクロースがいないと
いう証明にはならないのです。この世界で一番確かなこと、それは、子どもの目にも、
大人の目にも、見えないものなのです。サンタクロースがいない、ですって?とん
でもない!嬉しいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いっ
までも死なないでしょう。千年後までも、百万年後までも、サンタクロースは、子ど
もの心を、今と変わらず、喜ばせてくれることでしょう。」と。
我々科学万能時代に生きている人は、「実証主義」に毒されています。「証明できな
いものは存在しない」と。これは、誤りです。私も科学者の1人として、発言します
が、研究をすればするほど、証明できないものが、増えてくるのです。つまり、証明
できるものが、少ないのです。証明できなくても、存在するものが多くあることを、
知ってほしいのです。これは、まさに「理性」の限界です。パスカルは「理性の最後
の一歩は、理性を超える事物が無限にあるということを認めることである。」といっ
ています。私は「理性」を超える事物を認識する能力を「感性」と呼んでいます。サ
ンタクロースの存在も、「理性」は認めませんが、「感性」は認めるのです。
福井達雨先生が園長をしていた、知恵遅れの「止揚学園」の子どもは、「氷が溶け
たら何になる?」と質問すると、「春がくる」と答えるそうです。我々「理性的」な
者は「水になる」と答えますが、「感性」豊かな子どもたちは、ただ単なる科学的現
象としてではなく、春夏秋冬の実感として、「氷が溶けたら、春になり、花が咲き、
小鳥が歌う」と感じるのです。その方が、よっぽど美しく、楽しいではありませんか?
聖書に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見える
ものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(Uコリント4:
18)とあります。(2000年12月18日九州ルーテル学院大学チャペルにて)
山田麻衣
皆さま、無事にブラジルで28歳になりま
した。25歳はブラジルにきて、たくさんの
出会いが与えられ、神様が確かに私を導
き、祝福してくださったことを感じること
ができました。きっと26歳のこの1年も
素晴らしい1年になるだろうと思います。
今年1年も色んなことに挑戦したいと思い
ます。まあ、まだ若いからね!!ww
みんなたも神様からの豊かな祝福があり
ますように。そしてほんとうにありがと
う。(山田麻衣)