嶋田拓哉(ルーテル学院高校3年生)
オーストラリアでの一番の思い出は、修学旅行でスキューバダイビングをしたことです。最初に潜ったとき、自分をコントロールできなくて、橋柱に激突したのを覚えています。またサメを見たときもパニックでした。でも、静かな海の中は美しくて今までに見たこともない別世界で、感動しました。
私はオーストラリアの文化というか習慣で、すごく好きなものがあります。
それは、人と人とが話をするとき、しっかりと目を見て話をするということです。現地の人は、話す相手がたとえ友達、大人、子供のだれであっても、ちやんと目を見て話します。現地の人にとっては普通のことで、また当たり前のことなのかもしれません。しかし、たとえ言語が違っていても、相手の気持ちが伝わるし、日本人の私にとって、これはすばらしい文化だと実感しました。
1年間の留学で、お世話になった現地のホストファミリーや、インマニュエル高校の友達や先生方がやさしく接してくださったので、楽しく充実した1年間を過ごすことができました。現地の方々にとても感謝しています。
私は留学する前、ルーテル高校でスピーチをしました。そのとき、私は「この留学を絶対成功させてくる」と言いました。100%成功したかは分かりませんが、1年間ずっとチャレンジしてきました。だから、高校生活最後め1年間も、もっともっとチャレンジして、楽しく有意義なものにしたいと思つています。
最後に、このオーストラリア留学のチャンスを与えてくれたルーテル学院高校の先生方、またメールで何度も「がんばれ」と応援してくれた友達、そしてなによりも留学に行かせてくれた両親と家族に感謝します。
ありがとうございました。
(これは高校での報告の抜粋です)
作者不明
ある夜、一人の男が夢を見た。
夢の中で、彼は主イエスと共に、海辺を歩いていた。空一杯に、彼の生涯の色々な場面が、ひらめくように映し出された。それぞれの場面に、二人の足あとが砂の上についているのである。一つは彼のであり、もう一つは主のものであった。彼の人生のラストシーンが映し出されたとき、男は砂の上の足あとを振り返ってみた。
すると、小道づたいに一人分の足あとしかない所が、何度もあるのに気づいたのである。しかも、彼の生涯の中で、どん底の時代や、もっとも悲しい時期に、そうなっていたのであった。そのことが、大変気になったので、彼は主イエスにお尋ねした。
「主よ、あなたはどんな時にも、私と一緒に歩いて下さると、約束してくださいました。それなのに、私の生涯で一番困ったときや苦しいときには、一人分の足あとしかないのです。どうして、私があなたをもっとも必要とした時期に、私を置き去りにされたのですか?」と。
すると、主イエスほ答えて言われた。
「わが子よ、私があなたから離れたことは一度もなかった。あなたが試練にあって、苦しんでいる間、一人分の足あとしかないのは、その時私はあなたを背負っていたからだ」と。